帰宅部の放課後

エロゲの感想とかをダラダラ書いていく

「ゲームしかしてない」って思った時の考え方

ゲームしかしてない

僕は中学一年の時から高校の終わりまでずっと帰宅部で放課後はゲーム、ゲーム、ひたすら隙を見つけてはゲームをしていた。

そしてゲームしかしていないと「俺ってゲームしかしてないよな」って思って急にゲームをすると言う行為が無駄で無価値な物になって軽く憂鬱になってしまう事がある。

以前は結構この症状で悩んでいた、けど趣味というのは本来楽しいからやるものであってそこに意味だなんだ求めることこそ意味のない物だと気が付いてからあまり悩まなくなりました。

でも時々自分の考えに対して自信が持てないときがあるので考えの整理もかねて趣味ゲームについて色々考えてみることにした。

ゲームは無駄なのか

結論から言うとゲームは無駄ではないと僕は考えています。

そもそも無駄とは何か、何を持ってして無駄なのかと言うところからこの話は始まると思います。

一般的に語られる無駄でない行為の代表としては仕事、勉強、恋愛など社会的地位を上げるための行為が多いと思います。

ゲームをして無意味だと思うのは大抵ゲームをしても社会的ステータスに何も影響させず下手したら下げてしまう恐れがあるからだ。

でも元々ゲームは社会的ステータスを求めて始めるものではなく面白いから始める物であって仕事などのしなければいけない物でもなんでも無い。

つまり趣味と言うのは意味を求めて始める物でなくて自分が面白いと思うからやる物であり、そこに意味だなんだ考える事自体がナンセンスだと言うことに気がつくべきだと思う。

それに社会的地位を上げる事だけが意味のある事なのか?金やステータスだけ大事でそれだけが人生なのか?

まーそれだけが人生って人も中にはいるでしょう。でも人が生きている中で大事な物の中に「面白さ」って言うのは絶対にあると思う。

面白さと言うのは自分が純粋に楽しくて熱中してしまう物事でそこには他人の価値観が介入しない。ただただ面白いからする物であるという事だと思っている。

そしてその面白さをゲームに求める事は何にも間違っていないし悪くない。

ですが注意しなければいけないのは、ゲームと言うのは就職活動などに必要な履歴書に必要な趣味としてのランクは比較的低いと思います。(例外的な会社もあります)

これは前記した通りゲームは大抵社会的ステータスに何も影響しないからだ。でもだからこそ純粋な面白さ、遊びという物になっていると僕は思う。

そもそも趣味という楽しむ以外に意味を持たないものに意味を求めるとかいう意味の分からない行為が意味分からない()

 

なんでそう考えてしまうのか

ゲームは楽しいもので新作ゲームで期待がでかい物なんか休日は夜更かししてオールナイトしてしまうこともある。しかしこのようなゲームに意味を求め始めるナンセンスな質問をするのはなぜか。

僕の場合大抵は、長時間の集中による疲れかそのゲームに対しての飽き、それと何か自分の中に不安なことがある場合にそのことが頭から離れないときとかだ。

 

長時間の集中は休憩とったり体を動かしてみれば治ることが多い、僕はゲームにどうしても集中できないときは筋トレを始める。

筋トレは自分の中の不安もやっているうちに一時的にかき消してくれるし、筋トレによる運動不足解消は単純に体によく体力と集中力を増やしてくれる。つまり筋トレは最強Q.E.D. 証明終了

ゲームに対しての飽きだが、対処としては別のジャンルのゲームを試しにやってみたり、いっそゲーム以外のことについて試しにやってみるなどの自分に刺激を与えると僕は大抵治る。

ゲーム意外なこととしては、前記した筋トレ、あと最近コーヒーにこだわるようになって様々な豆を試してみるのにハマっている。それとブログを始めた。自分の気持ちを文字に起こすっていうのは案外難しいけど、自分の考えを整理できるし単純に楽しい。

このように常に新しい体験を自分に与えていくことによってゲームだけでなく単純に日々の楽しみや成長として重要なことだと思う。

プレイ時間が何100時間も超えているゲームというのは実家のような安心感があるが、いつまでもその安心感にすがらずに一つの事にとどまらず、色々な物に挑戦していけばまた飽きを忘れて没頭できるゲームに出会えると僕は思っている。

 

まとめ

まあ要約すると、趣味は楽しむものだから意味を求め始めるのはナンセンス、ゲームに飽きたら違うゲームでも筋トレでも何でもいいから新しい物に挑戦しようぜっていうことです。

ゲームやってて楽しいならそれ以外何も言うことはないんですよ、だって楽しいからやるのが趣味だから。でもゲームそのものがもう本当に飽きて楽しめなくなってしまったらサッサと切り捨てて別のものに行く選択と勇気も大事だと僕は考える。