Keyの新たな名作|Summer Pockets 感想
率直な感想
いや、ほんと、感動しました....泣きそうだった...てか泣いてた....
ED見た後、タイトル画面でボーっとしていて、30分ぐらいしてゲーム画面閉じようとしたんですよ。
でも、ウィンドウ閉じたら本当にサマポケ終わるんじゃないかなって思っちゃって、そしたら閉じれずにまたボーっとしていました。
そのぐらいの強烈な虚無感を感じさせてくれる、まさに「Key作品」だったと思います。
Summer Pocketsで泣ける理由
Summer Pocketsでなぜ泣いたと言われたら、
「ノスタルジーを感じたから」だと僕は思います。
子供のころ、夏休みに友達と理由もなく遊んだ毎日は、細かいことは覚えていないけど、ただ楽しくてずっと笑っていた。
あのころは、そんな「まぶしさ」があったことは確かに覚えています。
そしてこのゲームで、主人公は鳥白島でたくさんの人に出会い、様々な体験をしていきますが、プレイしていた僕たちの中にも、思い出として残っていきます。
そしてゲームの終わり、夏の終わりに主人公が島を去るときに、主人公の中にある楽しかった思い出は、何もかもハッキリと覚えていませんでしたが、ただ「まぶしさ」だけは忘れていませんでした。
しかしプレイヤーは、主人公が島で作り上げた思い出を、ハッキリと覚えているので、「まぶしさ」を思い出すのと同時に、「まぶしさ」の正体を知ることになります。
そうして子供のころの、純粋に夏を楽しんでいた気持ち、つまり「まぶしさ」の正体を、プレイヤーはSummer Poketsを通して少しだけ思い出すことができます。
そして、もう帰ってこない楽しい夏を思って、主人公の思い出を忘れてしまう気持ちに強く共感できるので、泣けるのだと思います。
Summer Poketsは「過ぎ去った時間」「失われた思い出」という、遠いものを懐かしんで泣いてしまう、つまり「ノスタルジーを感じて泣く」そんな作品だと僕は思いました。
この作品は何を伝えたかったのか
Summer poketsは「ひと夏の思い出」を思い出させてくれる作品だ。
誰でもどこか覚えている、昔の楽しくて、毎日がまぶしい夏休みを思い出させてくれる、そんな作品である。
そしてこの作品は、いつまでも楽しい思い出の中で生き続けていてはいけない、ということも同時に伝えている。
これは、うみが自ら夏休みを終える(ループを断ち切る)ことや、
OPのアルカテイルのサビの歌詞が、最初は「夏の面影を 繰り返す」、なのに最後は「夏の面影を 振り返る」になっていることから想像できる。
そして、主人公自身もシナリオ前半では、「まぶしい夏休み」を探し、シナリオ後半では「まぶしい夏休みを断ち切る方法」を探している。
つまりSummer poketsでは全編を通して、「過去との向き合い方」を伝えているのではないかと感じた。
Keyというブランドの覚悟
この作品を作るにあたって、麻枝准さんはインタビューで、
「サマポケで本当に泣けるものを作らなければKeyは終わり」という覚悟で挑んでいたらしい。
そして、僕がサマポケで感じた、「過去にとらわれず、未来を歩き続け、大事なものを見失わないために過去を振り替える」というテーマは、
サマポケを作る上での覚悟や、Keyというブランドのこれからの目標を表している、いわゆるメタファーなんじゃないかなとも思えました。
そもそも、Keyで夏ゲーといえば「AIR」であることは、もはや普通のことで、AIR自身も未だ評価されている名作中の名作であることには違いない。
そんなAIRと被る、
「夏」というテーマを前面に押し出している時点で、かなりの覚悟があったのだと考えられる。
そして、イラストレーターの変更や、新しいシナリオライターの導入と、いままでの伝統を崩した、まったく新しいメンバーで作られた今作は、
絶対に成功しなければいけない作品だったと思う。
そしてサマポケの「Keyとしての伝統を残しつつ、新しいものを作る」というのは、
「過去にとらわれず、未来を歩き続ける」というサマポケのテーマに強く込められているのかなとも思いました。
まとめ
めちゃくそ名作でした。
Key作品は今までCLANNADが一番好きだったんですけど、Summer PocketsはCLANNADとは感動のベクトルが違いますが、同じぐらい感動した作品だと思います。
特にプレイ後の余韻がすごい.....確実に心をえぐられる感じがヤバイ(語彙不足)
この記事はプレイ直後に書いていたので、まだサマポケの虚無感とか余韻が残っていてうまく言葉にできなかった部分もありましたが、
僕が言いたいのは
Summer Pocketsは紛れもなくKeyの泣きゲーである。
です!美少女ゲーム好きな人は絶対やったほうがいいよ、マジで。